韓流アイドルは「感動ビジネス」か?

世間では 「感動ビジネス」が真っ盛りです。
「感動ビジネス」というのは、人を感動させる商品やサービスを提供する商売のことです。

「感動できる映画」やら「泣ける小説」やらが巷に溢れ、スポーツを中継するアナウンサーが「感動をありがとう!」と繰り返し絶叫する光景がよく見られます。

人は自分を感動させてくれるものを求めて、積極的にお金を払います。
私が韓流アイドル(超新星東方神起、JYJ)のライブに行くのは、たぶん「感動したい」からなんでしょう。

私は、彼らの歌やダンスなどのパフォーマンスや端正なルックスに対して拍手を送っているのでしょうか?
確かにそうなんですが、それだけはないはず。
メンバー間の厚い友情や信頼関係に感動したり、デビューするまでの苦労やこれまでの困難に思いを馳せつつ現在の彼らの成功に拍手したり、ファンに語りかけられる誠実な言葉に涙ぐんだりしています。
つまり、私は韓流アイドルのパフォーマンスだけでなく、その波乱万丈なライフヒストリーにも感動しているのだと思われます。

皆さんはどうでしょうか?
韓流アイドルのライブイベントや商品を購入するとき、そこにはアイドルの人生への共感も含まれてませんか?
数々の苦労や逆境を乗り越えて、また言語や文化の違いを克服して成功をつかもうとしている韓流アイドルの真摯な姿に感動し、熱狂的な支持をしているのではありませんか?
そう、韓流アイドルには「感動できる要素」がたくさん詰め込まれているから、私たちファンは彼らを購入するのだと思われます。
(なぜ日本人アイドルではなく韓流アイドルに熱狂するのかの答えが、ここにあるような気がします)

そして、韓流アイドルに感動できなくなったとき、ファンの購入意欲は衰えるでしょう。
ファンが感動できなくなるキッカケは様々だと思います。
例えば、韓流アイドルの背景にあるストーリーに疑念を抱き、その物語性に薄っぺらさや胡散臭さを感じて共感できなくなったとき、ファンはファンであることを辞めるのかもしれません。

ところで、人はどうしてこうも「感動したがる」のでしょうか?

脳科学者のアントニオ・R・ダマシオの言葉を引用させてもらいます。

感動とは「脳が記憶や感情のシステムを活性化させて、今まさに経験していることの意味を逃さずにつかんでおく働きである」
「脳が全力を尽くして、今経験していることを記録しておこうとしている。生きる痕跡を指針として残そうとしている。そのプロセスに感動がある」

人はよくつぶやきます。
「私の生きる意味は何?」と。

生きている時間をだらだらと慢性的に過ごしていることは耐え難く、「私の人生は意味あるものだ」と感じたい心情が、感動を求めることにつながっているのかもしれません。

感動ビジネスが繁盛している現代社会は、「人生の空虚感」を穴埋めしたい人が多いということなんでしょうか(^_^;)


[参考文献]
香山リカ 『劣化する日本人』 ベスト新書、2014年

*感動創造研究所
http://www.kandosoken.com/report/