韓流アイドルと「家族ゲームやコミュニティゲーム」をする女性ファンたち

韓国の文化(家父長制や男らしさ、濃密な家族関係)を背景にして、韓流アイドルや韓流タレントのビジネスは展開している部分があるように思われます。
つまり、ファンに対して「家族」や「絆」という概念を持ち出し、アイドルとファンとの間およびファン同士の間に強い結びつきがあるコミュニティ(現実的に本当に強い結びつきがあるかどうかは別にして、強い結びつきがあると感じさせてくれるコミュニティ)を作り上げることで、ビジネスが継続されているということです。
(「冬ソナ」ブームのとき、ヨン様は繰り返しファンを「家族」にたとえ、タレントとファンとの間に強い「絆」幻想を打ち立てましたよね。この傾向はその後の韓流カルチャーにも受け継がれていると思います)

なぜ日本の女性たちは韓流カルチャーに夢中になるのでしょうか?
その答えのひとつに、韓流アイドルとファンとの間およびファン同士の間で形成される擬似家族形態に魅力を感じていて、ファンがそこに絡め取られていることがあげられるのかもしれません。

1990年代から長く続く日本の経済不況の中で(途中に好況期も挟みましたが)、女性のライフスタイルも変化しました。
専業主婦の中には、夫のリストラや収入減に出くわした人もいるでしょう。
また、就職難で正規雇用にありつけない若者が急増し、親の世代よりも豊かに生きられないことを実感している人もいるでしょう。
貧困化は結婚できない若者を生み出しましたし、少子高齢化も招いてますよね。←個人的には、「男性が女性をリードし、守り養うものだ」といった古い固定観念に縛られている人ほど、結婚はままならないものになるような気がします(^_^;)
 「専業主婦として子どもを産み、結婚生活を送ることが、もはや経済的な保障を約束しないと気づき、女性の考え方も大きく変わった」といえるのかもしれません。
*『日本男性の「男らしさ」とはーー自衛隊を取材した米大学教授に聞く』より引用http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424127887323796904578178590803560734

シングルの女性が増えたり、専業主婦のいる世帯よりも共働き世帯が多くなったり、子どもを持たない選択をする夫婦がいたり、従来の結婚のあり方に疑問を持ち、事実婚を選択するカップルがいたりと、女性のライフスタイルも多様化しました。

要は、昔ながらの家族が崩壊しているということです。
日本ではまだまだ女性差別が温存されていて、雇用や賃金面において男性との格差がありますよね。←現在の不況下では男性も上かろ落ちてきて、女性並みになりつつあり、貧困化しています。
そんな社会環境に置かれた女性たちが「男に養われ、経済的に安定していた昔は良かった」と懐古主義的になっても不思議ではありません。
男女平等を望みつつも、男が責任感とリーダーシップを持って女を守り養うのが「男らしさ」だとして、相変わらず旧来の「男らしさ」にすがる女性もいるでしょう。

一部の女性にとっては、韓流アイドルが文化的背景をちらつかせて提供する「家族」や「絆」という概念が、旧来の「男らしさ」(男が責任感とリーダーシップを持って女を守り抜くこと)と合致し、昔ながらの家族を体感できるシステムやアーキテクチャとして機能しているのかもしれません。
(「男らしさ」は国や時代によって変わる流動的なものです)

しかし、このシステムやアーキテクチャは昔ながらの家族やコミュニティに似ているようでいて、実際にはそうでない虚像のシステム、つまり「家族ゲームやコミュニティゲーム」です。

そして、多くのファンは自分たちを支えているシステムやアーキテクチャ、つまり韓流アイドルや韓流タレントがビジネスとして提供している「家族ゲームやコミュニティゲーム」の真相を知りたがるとは思えません。
システムやアーキテクチャの中で安らぎたいのに、それが虚像のシステムだと突きつけられたら、まったりできませんから。

中には虚像のシステムだと意識しながら、まったりできる人もいるでしょう。
でも、虚像のシステムだと意識した途端、またはシステムが自分の理想としている旧来の「男らしさ」と合致しなくなったと感じた途端、まったりできなくなる人の方が多いような気がします。

そして、まったりできなくなった人間がまったりしている人間に対して苛立ちや嫉妬を覚え、「覚醒しなさい」だの「騙されるな」だのブログやSNSで騒ぎ出したとき、アンチファンになるのかもしれません。


最後に、社会学者の宮台真司氏のICCオープニング・シンポジウムでの発言(そのまま書き留めたものではなく、私なりの言葉でまとめているもの)を載せておきます。

「昔ながらのものはない。コミュナル(共同社会的)なものはいったん崩壊してしまった。そこで、昔ながらのものの機能的等価物をどう見つけ出し、開発するか?」
「つまり、昔ながらの家族はない。伝統家族はない。定型的な家族はもうない。だから、それに固執することはできない。だったら、家族のようなもの(変型家族)を行政的・社会的にどんどん支援していこうではないかという方向性。これがポストモダン再帰性(構築)といえる。おそらく日本で可能なのはポストモダン再帰性であり、これでいくしかない」

注)モダン的再帰性(保全)/ポストモダン再帰性(構築)

民主制の不完全性を補完するものとしての民主制以前的な伝統、例えばアメリカには宗教的良心に対する信頼性があったり、自分の良心や趣味に基づいて結社(association)を作り、それが社会的な流動性に押し流されないベースになったり、あるいはヨーロッパには都市国家(中世の自治都市)の伝統があったり、ノーブル・オブリゲーションズがあったりする。しかし、こういった頼れるべきものが日本にはもともとない。日本では、ポストモダン再帰性(家族やコミュニティに機能的に等しいものを見つけ出し、開発していくこと)に過剰な負荷がかかる」
「人々は自分たちを支えているアーキテクチャ(構造)の真相を知りたいと思うのか?おそらく知りたくないだろう。そのアーキテクチャの中で安らぎたいのに、つまり『まったり』したいのに、虚像のシステムだとわかってしまったら『まったり』できない」

宮台氏が主張するように、コミュナル(共同社会的な)ものがいったん崩壊した日本では、家族やコミュニティに機能的に等しいものを探し、開発していくことが課題なんだと思われます。
しかし、それが難航していてうまくいってないからこそ、日本の多くの女性、特に厳しい社会環境の中でむき出し状態で晒されている女性(例えば、非正規で十分に賃金を稼げないシングル女性、男性からDVを受けている女性、家庭内に閉塞感を抱いている女性、男性中心社会で抑圧されながらも懸命に働いている女性、現実の男性に強い不信感を持ち幻滅している女性)ほど韓流アイドルや韓流タレントが提供する「家族ゲームやコミュニティゲーム」にのめり込んでいくのではないでしょうか?


[参考文献]
リニューアル・オープニング・シンポジウム「ネットワーク社会の文化と創造」
第一回「ネットワーク社会の文化と創造—開かれたコミュニケーションのために」【前半】
Renewal Opening Symposium: Culture and Creation in a Networked Society
Session 1: Culture and Creation in a Networked Society - Towards Open Creation [First Half]