「享楽的なはけぐち」としての韓流アイドル⁈

日本市場に投下された韓流アイドルは、いわば「移民アイドル」であり、私たちファン・コミュニティは「ホスト社会」に当たると思います。
「ホスト社会」というのは、エスニックマイノリティ(少数民族)を受け入れる多数派社会のことです。

韓流アイドルは日本とは異なる文化の中で育ち、彼らなりの考え方や習慣を持ってますよね。
しかし日本で活動するにあたり、日本の文化的価値観や習慣、芸能界での習わしなどにすり合わせて、私たちファン・コミュニティ(ホスト社会)に受け入れやすくされるための戦略をとっています。
それを「現地化」と表現したのは、韓国の芸能事務所です。

「現地化」された韓流アイドルは、日本語を話し(習熟度はアイドルによってそれぞれ異なりますが^_^;)、好きな日本食に言及したり、日本人女性の良いところ(控えめで優しいとか、声や話し振りが可愛らしいとか)を褒めあげたり、日本の文化や土地柄に触れたりして、ファンの気持ちに訴えかけ共感性を呼び起こします。

日本人ファンはたいてい彼らの言動に好意を抱きますが、ふとした瞬間に違和感を覚えることもあります。
この違和感の正体こそ、私は文化の違いだと思ってます。
たとえどんなに徹底して「現地化」された韓流アイドルだとしても、彼らの韓国人としてのアイデンティティは消えることはないでしょうし、100%抑圧することは不可能だと思われます。

韓流アイドル・超新星を例にしますと、メンバーが各地のライブ会場でのファンの声援の大きさやノリの良さを比較することがよくあります。
メンバーが「今回の会場が1番盛り上がっていて楽しかった。ありがとう」と言うことに対して、日本のファンの中には良い印象を持たない人が一定数いるようです。

一定数のファンは比較されることを嫌がってます。
超新星メンバーのそのような発言をライブ会場で直接聞いたり、SNS上で知ったりして、「別のライブ会場で楽しいひと時を過ごしたのに、まるで自分の参加したライブが否定されたみたいで、気持ちが萎えるし、傷つく」と。
(私自身はそのようには感じません。彼らが言った「1番盛り上がったライブ」に参加できなかったことはもちろん残念に思いますし、参加できたファンに羨ましさや若干の嫉妬を感じますが、私が過去に参加したライブの価値はそのままです。楽しかったひと時は楽しかったひと時のまま、大切な記憶として保存されます^ ^)

一体、「ファンの傷つき」はどこから来るのでしょうか?
それは日本人の文化的心理的特性として、「基本的には横並びで、他人と同じことで落ち着く日本人は、誰かが豪華になったり貧相になったりすることを嫌がる」傾向があるからではありませんか?
同質性・同化性に心理的安心感を持ち、平等意識を重んじている人ほど、「他者から比較されること」に敏感になり、「自分が否定された」あるいは「自分は見下された」「優劣がつけられた」と思い込んで、つまり「自分は他者から大事に扱われてない/愛されいない」と感じてしまい、「傷つく」のかもしれません。
(韓国には「好きなものは好き、嫌なものは嫌」などと何でもはっきり言う文化があるそうでして、曖昧な言葉を使い、ホンネとタテマエを使い分ける日本人とは対照的だと思います)

さて、これはファンの「自己愛の傷つきやすさ」を意味してるのではありませんか?
(自己愛とは、他者から大事にされたい/愛されたいという気持ちです)
自己愛を傷つけられたファンは韓流アイドルに不満や怒りをあらわにし、「ライブ会場ごとにファンの態度を比較して、評価を与えるべきではない」と主張します。
確かに消費者である私たちファンは、どんなライブに参加しても、一定レベルの保証された価値あるエンターテイメントを享受する権利を有していると思います。
しかし、ライブとは文字通りナマモノであり、会場の広さや観客の反応、韓流アイドルの体調、音響の具合などによって左右され、毎回、判で押したようなライブが行われることはありませんよね?
ライブの醍醐味は、この偶然性による相互作用で生み出されるものと思ってます。
また、超新星メンバーによる比較発言は、過去のライブの価値を下げたり否定するものではないと私個人は感じています。
(「今、この瞬間、すごく充実している」という気持ちを彼らは率直に表現しているだけであって、過去のライブを「つまらないもの」とか「ダメなもの」とか断言しているようには思えません…)

「韓流アイドル・超新星に大事に扱われていない」と感じたファンは、「これは平等意識に基づく正当な怒りだ」として、彼らに説教します。
いえ、説教というよりは、『「お客様は神様です」なる価値観を逆手に取り、彼らを「享楽的なはけぐち」にして、過剰クレーマーになっている』感じがします。
アイドルに夢を見れなくなり、かといって他に夢中になれるものを見つけられず、好きだったアイドルにアンチコメントすることが一種の暇つぶしや娯楽となり、イジメのような「享楽的なはけぐち」として彼らを利用しているのかもしれません(^_^;)

自己愛(愛されたい気持ち)が肥大化している人間は、本来、傷つく原因にならないようなことで傷つき、その傷ついた気持ちを屈辱感や怒りに変換して他者にぶつけ、他者と信頼関係が結ぶことが難しいものです(^_^;)
私はこの肥大化した自己愛をアンチファンの中にときどき見出してしまうのです。

「自分が大切に扱われていない/自分は見下されている」といった感情は、恥をかかされたという屈辱感や欲求不満、怒りに転化します。
そして、その怒りや批判をより弱いもの=日本ではエスニックマイノリティである韓流アイドルに向けていき、自分の平等主義やプチ正義感を満たしているのが、アンチファンの本質なのでしょうか?

他者の期待はずれの言動に対して、屈辱感を抱いたり、激しく怒ったり、強い不満を持つのは、自己愛(愛されたい気持ち)が傷ついたのであり、弱い自分を防衛しているのです。
弱い自分を守るために、より弱い相手(韓流アイドル)を感情のはけぐちにしていて、これではまるで韓流アイドルをイジメているようです。


[参考文献]
香山リカソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』朝日新書、2014年

岡田尊司『パーソナリティ障害』PHP新書、2004年

*みんなが知りたい韓国文化
http://korean-culture.com/