韓流アイドルのファンの生態らしきもの2

韓流アイドルのファンに共通する特徴を書いています。


②アイドルへの「理想化」と「こき下ろし」

ファンの中には、対人関係・異性愛関係にロマンティックな幻想や過度の理想を抱いていて、そこに固執するあまり、現実の目の前の対人関係・異性愛関係に納得できない(満たされない)思いを持っている人がいるようです。
そのような人は、現実の目の前の対人関係・異性愛関係を「真実ではない」と考え、アイドルとの関係性に真実を見つけようとする傾向があります。

アイドルとはファンの理想を体現している「幻想」なのですから、アイドルとの関係性は何かと心地よく、中毒性・依存性の高いものになりますよね。
ですから、アイドルが自分の理想から少しでも外れた振る舞いや言動を見せると、かなり狼狽しながらファンはその「幻想=中毒物質」を失うまいとして、「ああしろ、こうしろ」とアイドルに説教をたれ道徳を説き、彼らを自分の思い描く姿へとコントロール・管理する傾向があります。
「何もわかっていない彼らに教えてあげなくては! 人気が落ちてしまう前に、私が彼らを救ってあげなくては!」とまるで幼い子どもに過干渉する母親のようです(^_^;)
アイドルに説教するのは、本当にアイドルのことを思ってなのでしょうか?
自分の思い描く通りの姿を強要しているだけで、その理想的な姿を目にして慈しみ、自分の欲望や快楽を満足させることが本当の狙いではありませんか?

また、深い愛情飢餓感(愛されたい欲求)を持ち、アイドルに依存していくファンは、アイドルを過剰に理想化する一方で、アイドルが自分の思い通りの姿から少しでも外れると、強い怒りをあらわにしてアイドルを罵り、こき下ろすことがあります。
アイドルへの評価は、「すべて良い」か「すべて悪い」かに二分されていて、極端から極端へとぶれるのです。

アイドルの所属事務所に対しても同様の視線があらわれます。
自分の思い通りになれば「味方」であり、自分の思い通りにならなければ「敵」なのです。

アイドルや所属事務所に対するファンの思考や認知様式は、二分法的で両極端を揺れ動きます。
善か悪か、黒か白か、全か無か。
アイドルのことをパーフェクトな理想的なものか、そうでなければ最悪で無価値なものに思ってしまい、割り切れないものとして中間的に捉える視点がないように思えます。

ファンは、あるときはブログでアイドルを「理想の完璧な男」として褒めちぎり、あるときは「まったく価値のない男」としてこき下ろす。
そのようなブログを読んでいると、そのブロガーさんの気分変動や対人関係の不安定さに驚かされます。
(主に2010年、東方神起の分裂騒動の際には、このようなブログやコメントがたくさん見られました。また、アイドルのファンをやめる際にはわざわざブログなどで宣言し、かつアイドルの無価値化・こき下ろしを行います)

また、ファンがアイドルをこき下ろす際に見せる「怒り」の感情は凄まじいですよね。
ファンはアイドル(及び事務所)に不適切で激しい怒りをぶつけ、その怒りを制御することが困難なため、ツイやブログには怒りの感情であふれたコメントが集まり、滝のように流れ、SNSがいわゆる「祭り」状態になるのでしょう。
(あるいは、SNSが人間の感情を制御不能なものに変えてしまうのかもしれません。以前、サイバーカスケードの話を書きましたので、よろしければご覧になって下さい。→韓流アイドルに道徳を説くファン⁈<アイドルに関する言説パターンはどうして生まれるのか?> - yuzukinta’s blog)

韓流アイドルの一部のファンに見られる特徴とは、アイドル(及び事務所)を「すべて良い」か「すべて悪い」かに二分して捉え、人に対する見方を突然に変更し、しかも両極端(「理想化」と「こき下ろし」)に変化させることと、不適切で激しい怒りを表現し、その怒りを制御できないところにあるのではないでしょうか?