人間の欲望は他者の欲望⁈

韓流アイドルグループ「東方神起」や「JYJ」「超新星」のファンブログを読み漁っているうちに、とある有名な言葉が頭の中をよぎりました。
それは精神科医ジャック・ラカンの言葉です。

「人間の欲望は他者の欲望である」

ふむふむ。
これだけでは抽象的でわかりにくいですよね(^_^;)

もう少し具体的に私の言葉で書いてみますね。
「人間は他人が欲しがるものを欲しがるし、また他人から欲しがられる自分を欲しがる」

ますます「何のこっちゃ?」という感じでしょうか(笑)
ではでは、もっと具体的に書いてみようと思います。

動画サイトやニュースサイトなどで、今まで知らなかった韓流アイドルを見かけたとします。
「おっ、かっこいいんじゃない?」と興味をそそられ、彼のことを調べ始めます。
その韓流アイドルは、もしかしたら世間的に広く認知されている「スター」であるかもしれないし、まだまだ駆け出し中の「ひよっこ」かもしれないし、勢いを増してきている「次世代アイドル」かもしれません。
あるいは、人気に陰りが見えてきたアイドルであることも…

とにかく、私たちはその韓流アイドルが大なり小なり人々から求められている存在なんだなあ〜と認識しますよね。
そして、アイドルが人々から欲しがられているのを目にすることで、自分も何だか彼を欲しくなってきませんか?
アイドルが誰の目にも止まらず、完全に注目されていないとき、もはや動画サイトやニュースサイト、ツイッター、ブログなどでまったく取り上げられなくなったとき、あなたはそのアイドルの存在自体に気づかないでしょうし、もちろん関心を持ちませんよね?

何人か、あるいは大勢の人間がアイドルに熱狂し、欲しがっている状況を見ることで、自分の欲望が掻き立てられたり、欲望を大きくさせるような感じがしませんか?
人間は他人が欲しがるものを欲しがる生き物に思えます(^_^;)
(ブランドの洋服や小物を欲しがるのは、この典型例ではないでしょうか)

しばしばアイドルのプライベートを覗き見たり、スキャンダラスな噂を聞くことで、自分が思い描いていたアイドルのイメージが崩れ、アイドルに「夢」を見れなくなったと嘆くファンがいます。
そう、ファンはアイドルが「夢」「幻想」「虚構」「理想」であることを知りながら、普段はそれを心の奥に封じ込めて、「現実」のものとして謳歌してますよね。
私たちファンが欲望する相手は、「夢」「幻想」であり、「実体」を持ちません。

実体のないものに欲望するのが、人間です。
ときにアイドルに幻滅したファンは、アイドルへの興味を失い、ファンコミュニティから立ち去っていくでしょう。
しかし、ファンコミュニティに残って、SNSなどでアイドルを無価値化したり、こき下ろすコメントを積極的に発信していくファンがいます。←俗に言うアンチファンやストーカーファンですよね(^_^;)
(私自身は、そういうアンチファンやストーカーファンをSNSから殲滅させようとは思ってません。ただ、ネットマナーを守って、適切な表現をすればよいだけなのでは? アンチファンやストーカーファンのパーソナリティ考察も面白いですし)

アンチファンやストーカーファンが、幻滅し見限ったハズのアイドルから離れられなくて粘着的に執着する様子は、かなり興味深いです。
彼女たちは「夢」を見れなくなりました。
しかし、「夢」を見ているファンを目にすることで、依然としてアイドルが欲望されていることを知り、アンチファンやストーカーファンは自分の中の欲望を活性化させられるのではないでしょうか?
今さらアイドルに対して無邪気に熱中できないものの、みんなが彼らを欲しがっている様子を見て、アイドルへの欲望は掻き立てられます。
ファンのみんなが楽しんでいる状況に苛立ちを覚え、過剰に楽しんでいる状況に禁止を加えたい要求が出てきます。
「みんな平等に楽しむな!」という要求命令の手段として、アイドルの無価値化・こき下ろしが行われるのではないでしょうか?

アンチファンやストーカーファンによるアイドルの無価値化・こき下ろしを見かけたファンのうち、アイドルにうっすら幻滅しかけていた場合はそこに便乗して、自分の欲求不満や失望を代弁してくれる彼女たちに感謝することでしょう。
アンチファンやストーカーファンは、ファンのアイドルへの欲求不満や失望、幻滅を吸い上げてくれる「救いの主/教祖さま」的存在になりませんか?
多くのファンから「いいね!」をされたアンチファンやストーカーファンは、社会的承認を得られたとして自分の自己愛を満たすことができ、すがすがしい気持ちになるかもしれません。
これは、先述した言葉「人間は他人が欲しがるものを欲しがるし、また他人から欲しがられる自分を欲しがる」の後半部分に相当しますよね(^_^;)
アンチファンやストーカーファンは、他人からたくさんの「いいね!」を押され、他人から承認され求められていると感じ、他人から欲しがられるている自分に夢中になります。
なんともまあ、SNSは自分のナルティシズムを満たしてくれるツールですよね(^_^;)

だけど、アイドルに熱狂するファンも似たようなもんだと思います。
韓流アイドル産業は日本市場を抜きにしては成り立ちません。
日本における嫌韓の影響からマーケットは縮小しましたが、やはりそこそこの利益は生まれます。
実際のところ、熱心に韓流アイドルを応援する日本のファンのことをまったくATMのようにしか見ないことはないでしょうし、ライブではファンに対して率直に感謝の気持ちを述べます。

「みんなのことを愛してます。あなたたちがいたから、今の自分たちがいます。大切に思っています」

ファンは韓流アイドルに大切にされている自分に満足感を得て、心が潤されます。
私たちファンは韓流アイドルから求められることで自分の自己愛を満たしていますよね。


私は、ファンとアンチ/ストーカーファンは表裏の関係だと思っています。
「人間は他人が欲しがるものを欲しがるし、また他人から欲しがられる自分を欲しがる」


私は自分の自己愛を満たすために、アイドルを利用しているのかも?

はじめに

私は「自分のものの見方が正しい」とは思っていません。
また、「自分は客観的で、中立的である」と宣言する人間には、疑いの眼差しを持っています。

どんな人間も自分の価値観や道徳から離れて、物事を見ることはできませんし、物事を理解し言語化することはできないと思ってます。
物事の見え方は「主観的」です。

私は社会構築主義の立場から、このブログを書いてみようと思っています。

私はブログで匿名を使用しているため、自分の書いた文章への責任を免れ、信頼性を損ねているかもしれません。
本名を名乗らないことで安全圏に身を置いていることを自覚してます(^_^;)

責任感や信頼性の補填になるかわかりませんが、簡単なプロフィールを書いておきます。

ユヅキと申します。
ヘテロ女性でアラフォーです。
基本的には専業主婦をしておりまして、ときどき趣味(絵を描くこと)を仕事に活かしてお金を稼いでます。
私の書いた文章に若干の信頼性を与えるのは、おそらく以下の経歴です。
学習院大学文学部心理学科で学習心理学社会心理学、臨床心理学を中心に勉強しました。
学士取得のレベルです。
もしかしたら知識に偏りや理解に謝りがあるかと思われます。

よろしくお願いします。

韓流アイドルのファンの生態らしきもの1

この記事はアメーバブログで書いていたものの再掲です。

韓流アイドルグループ「超新星」「東方神起」「JYJ」のファンとして、そのファン・コミュニティの中で起こる様々な現象を自分なりに観察し、心理学のテキストなどを参考にして書いてきました。
もう少しハードに韓流アイドルとファンとの関係性を追求していきたいと思ったことと、ジェンダーや性暴力なども率直に書いてみたいと思いまして、こちらのはてなブログに引っ越してきました。
 
韓流アイドルのファンがたくさんいて、相互につながっているアメブロでは、私の記事を読むことで傷つく人が出てくるかもしれないと思ったため、また私自身が遠慮することなくテーマに切り込んでいけるように、お引越しした次第です(^ ^) 

では、ブログ記事の始まりです。

私は、韓流アイドルの掛け持ちファンです(笑) 
過去記事を読んで下さった方にはバレバレだと思いますが、私は超新星とJYJと東方神起のコンテンツやライブパフォーマンスを楽しんでいます。 
そして、それぞれのファン・コミュニティを見ていると、(違った部分もあるのですが)共通の特徴が観察されます。 
もしかしたら、私のような掛け持ちファンが相当数いるため、ファン・コミュニティに共通の特徴があらわれるのかもしれません。
 
さて、共通の特徴とは何でしょうか? 
もちろん、ファンのすべてがその特徴を持っているわけではありません。 
ただ、SNSでのファンの言動を見ていると、次のようなことが浮かび上がってくるです。


①ファンの「傷つきやすさ」と「自己愛の満たされなさ」 

ファンは、アイドルや所属事務所・レコード会社の何でもない一言や些細な素振りに対して過剰反応し、傷ついているように見えます。 
傷ついているファンからすれば、それは何でもない一言ではないし、些細な出来事でもないわけですが、ときには侮辱されたと言わんばかりに怒りをあらわにし、アイドルや事務所を攻撃します。
「私たちを大事に扱いなさい」「私たちにもっと配慮しなさい」と。 
 注)私の場合、アイドルにライブイベントなどで楽しませてもらったら良しとするタイプのファンなので、「女とご飯を食べていた」とか「タトゥーを入れた」とか私生活に関する情報は「些細なこと」なんです。 また、ファンではない第3者の客観的な眼差しからすれば、「なぜ、そんなことで怒ったり、傷ついたりしているのか?」とファンの態度を不可解に思い、理不尽さを感じることがあります。 つまり、ファンの傷ついた心情や怒りは主観的なものであり、正当な感情ではないと判断されることがあるのです。

ファンが消費者として所属事務所やレコード会社にクレームをつけることはあると思います。
それなりの金額を払っているのだから、それ相応の商品を欲するのは当然ですよね(^_^;) 

しかし、私が不思議に思うのは、ファンの矛盾する言い回しです。 
ファンは事務所やレコード会社に対して、「私たちをATM扱いしている」「私たちが¥にしか見えてない」と批判的に述べる一方で、「誰がお金を払っていると思うの!」と金の威力をちらつかせて、自分の思い通りにことを運ぼうとする点です。 
「ファン=金」扱いしないでほしいと訴えながら、「韓流アイドルに莫大な利益をもたらしているのは、日本市場(日本のファン)です。アイドルや事務所などの裕福な私生活を支えているのは私たち。そんな私たちがファンをやめたら、あなたたちはどうなるのかわかってます?」と脅迫まがいのセリフを口にします。 

ファンはアイドルや事務所の言動によって「傷ついた被害者である」と主張しながら、脅迫的な言葉でもって相手をコントロールしようとしている感じです。 

「落ち込んだ、傷ついた、幻滅した」と頻繁に叫んでいますが、それは「自分が大切に扱われていない/愛されていない」ことを如実に感じていて、嘆き悲しみ、かつ怒りをにじませて、「もっと私を愛してほしい!」という自己愛の裏返しにすぎないのでは? 
ファンの傷つきやすさは、「自己愛の満たされなさ」に由来するように思われます。 

ファンは現実の日常生活の中で、自己愛(愛されたい欲求)を満たすことが難しいのでしょうか? 
私たちの理想を反映しているアイドルを相手に、つまり虚構の世界の中でしか自己愛(愛されたい欲求)は満たされないと感じてますか? 
現実の目の前の男性を相手にして、自己愛を満たすことはできませんか? 

この問いは、私たちが「男」という存在に何を期待し、どんなロマンティック幻想を抱いているのかということに帰結します。 

ファンとは、アイドル(幻想の男)に対して、とことん「愛を貪る存在」なのかもしれません。 
アイドルを溺愛するファンもアンチファンも、自分を支えてくれて愛情飢餓を癒してくれる人物としてアイドルを常に求めているのかもしれません。

韓流アイドルとSNS

社会学、女性学、心理学などの分野では、韓流カルチャーの研究が行われてます。

私たちファンが思い思いに書くブログやツイッターなども貴重な資料とされています。←私も他者のブログやツイを参考資料にして、そこからファンの性質を読み解きますし、私自身のブログもどこかの見知らぬ研究者の資料になっているかもしれません(笑)

確かにブログ人格というものは存在しますが、ブログやツイでの発言には、やはり人間の実存が反映されているのではないでしょうか?
文章の内容だけではなく、文章構成や感情語句の使い方、印象形成のあり方などによって、様々な情報をブログなどから読み取れます。

韓流アイドルのブログを書いているファンからすれば、「あなたの資料になるために書いてるんじゃない」と思われそうですが、ネットという公共空間で発表されたものは、他者からどんな形にも利用され得るのです(^_^;)

紙の上に書いて、どこかにひっそりとしまっておく日記や記録ノートとは違っていて、ネットはあくまでも公共空間ですから、誰の目にも触れる可能性がありますよね。
つまり、自分の感情や意見をわざわざ見せていることになります。
そういうことをする背景には、溢れんばかりの喜びやワクワク感を他の誰かと共有したり、自分に共感してくれる誰かを探している場合もあるでしょう。
または、心の底に溜まった「淀」を吐き出す装置として利用している場合もあるでしょう。

どちらにしろ、他者の視線を意識して書くのがSNSではありませんか?
例えば、旅行先の写真をひとつアップするにしろ、「他者が見てキレイだなあ」と思えるものを選択しますよね?
「こういうふうに書いたら、私はこういうふうに見られるかなあ」と感じながら書きませんか?
(ときには感情が高ぶって、後先考えずに激情を綴る人もいるかもしれませんが…)
常識的には、ブログを書くとき、「より良く見られたい」と思って書いている人が多いのではないでしょうか?

「より良く見られたい」という感情は、誰にでもあります。
私にもあります。
「夫や子供に囲まれて幸せに暮らす奥さま」とか「仕事やプライベートで充実している私」とか「ユーモアとセンスにあふれ、個性的な私」とか、ウソはつかなくても「そのように見られたい自分」を多少なりとも意識して書きませんか?
「より良く見られたい」という自己愛的な願望は、SNSなどで発言する場合には切り離せないと思います。
SNSとは、「自分をより良く見せるためのナルシスティックなメディア」だとも言えますよね?

このようにSNSには自己愛的な願望が潜んでいる一方で、「こんなことを書いたら、周囲の人にどう思われるかな?」と想像することなく、反射的に激情(激しい怒りや侮蔑的な感情)を書き綴る人もいます。
子供のように感情を爆発させて、コントロールできなくなっている様子(^_^;)

うーん、SNSはユーザーを自己愛的にもするし、幼児化をも引き起こすツールなんでしょうか?

韓流アイドルのファンブログやツイを観察していると、幼児化として次のような特性があげられると思います。

①「敵か味方か」「全か無か」「良いか悪いか」といった二分法的思考

②投影同一化
→ファンがアイドルの気持ちを忖度して、アイドルとの関係の中で自分の気持ちや衝動を処理する傾向があります。
例)所属事務所のマネジメントにファンが不満や不安感を抱いているとき、アイドルも同じように感じていると決めつけ、「この怒りは相手のせいだ」と所属事務所を責めて(ときにはアイドルをも責めて)、相手とのゴタゴタの中で自分の感情を発散し、それをコントロールしようとします。
相手に処理してもらったり、コントロールしてもらうことを無意識のうちに期待していて、自分の中の欲望や感情を相手に押し付けるメカニズムを「投影同一化」と言います。
怒りの感情があまりにも大きくて、自分の中では処理できず、相手を巻き込んで、相手とのトラブルの中で処理しようとする対人関係のパターンです。
「自分の感情や衝動の自己調整能力が著しく脆弱」だからこそ起きる現象です。←だから幼児化なんですが…
(自分ひとりで処理できる人は、気分転換に運動やカラオケなどのレジャーで気持ちを整えたり、冷静に相手と話し合うなどできますが、自分ひとりで処理できない人は他者を巻き込み、他罰的に相手を激しくなじるなどの攻撃的態度を見せます^_^;)

③アイドルへの「理想化」と「無価値化・こき下ろし」
→ファンブログを読んでいると、ある日のブログではアイドルを賞賛し、別の日のブログではアイドルを誹謗中傷していて、感情や対人関係のあり方が極端に見えます。
注)こちらに詳しく書いてます。
韓流アイドルのファンの生態らしきもの2 - 仮想三昧

私はファンブログやツイなどを巡って考察しているため、ファンコミュニティからすれば「ハエのように煩わしい存在」かもしれませんね(^_^;)
でも、このような考察の中に私自身も含まれてます。
韓流アイドルとファンとの関係性を探る趣味は、自分の心理をえぐる作業でもあります。

私は自分のことをSだと思うのですが、意外とMだったりして〜(笑)


[参考文献]
小此木啓吾、深津千賀子、大野裕 編 『改訂 精神医学ハンドブック』創元社、2004年
香山リカ 『劣化する日本人(自分のことしか考えられない人たち)』ベスト新書、2014年

韓流アイドルと同調圧力

韓流アイドルのファンブログやツイをいろいろ読んでいると、あちこちで「共通の単語」が使い回されてると思いませんか?

例えば、今回ユナク(超新星)が髪の毛を切ってきて、カラーも金髪にしてイメチェンしてきたとき、ファンのコメントは「チャラくなった」というものが多かったように思われます。

でもね、私が金髪ユナクを初めて見たときの第一声は、「わあ! カッコいいよ〜」でした。
「チャラい」とは思わなかったんです。
チャラいどころか、前よりも若く見えたし(←もともと実年齢より若く見えるタイプだけど、さらに若返った感じがしたし)、ジャスティン・ビーバーの髪の毛の色(ゴールデンブラウン)みたいで、その少年っぽい明るい雰囲気に超絶萌えました(笑)
(ちなみにジャスティン・ビーバーは今、卵投げ事件で渦中の人ですが…)

しか〜し、他の多くのファンが「チャラくなった、チャラくなった」とSNSなどで連発するもんだから、私の感覚がどこかズレていて間違ってるのかもしれないと思い、「カッコいいし、少年っぽいし、最高!」という感想を言いずらくなってしまったんですね(^_^;)←武道館ライブの日程がどんどん消化されていくうちに、「カッコいいよ」という感想もたくさん出てきましたが…

ネット社会では多くの人の意見や感想が即座に見れます。
そして、自分の意見や感想が周りの人と一致しているのか、してないいのか確認できますよね。
一致しているときは特にプレッシャーを感じることはありませんが、一致していないときは「自分の感覚はどこかズレているのかもしれない?」と不安になり尻込みして、「沈黙」することがあります。←それなりにビビりなワタクシ(笑)
場合によっては、「私の感想が間違っているのよ。『正しい感想』に切り替えなきゃ」と自らの認識の変更すらあり得るのです。

これはおかしな事態ですよね?
アイドルに当初、抱いていた感想を周りのファンの感想に合わせて変更してしまったり、沈黙してしまう自分…

はい、これは社会心理学でいうところの「同調圧力」なんだと思います。

人間はついつい多数派の意見を「正しい意見」だと受け止めてしまいがちです。←多数者意見が間違っていることはありますよね(^ ^)
また、人に嫌われたくないとか拒否されたくないとか嘲笑されたくないとか思って、自分の見解を多数者と同じ見解に転じさせてしまうことがあります。
このように、自分の意見を主張するよりも周囲の意見に合わせるように働く力のことを「同調圧力」と言いまして、日本社会の中では結構、幅をきかせていると思いませんか(^_^;)

ホントは不本意なのに追従してしまったり、追従することは無理なので「沈黙」してしまったりと、人間はか弱い生き物です。

精神科医の香山リカさんは次のように言ってました。

SNS上の言動でも、『個性的に見えるが一定のレベルを超えず、結果的には同じ範囲にとどまる』というポイントを押さえることがいつも求められている。だからこそその発言はときとして『みな同じ』になってしまったり、それをヘビーに利用する人たちはとてつもなく消耗してしまったりするのだ」
「『いまの自分の発言や選択はまわりからどう見られているのか?この集団での平均レベル、ギリギリのレベルはどのあたりだろう?』と意識し、自分をうまくコントロールしなくてはならない」
SNSに代表されるネットの場では、一度、発言してしまったことは撤回したり相手の反応を見て途中で修正したりすることは困難だ。そのため、最初からリアル以上に、『自分らしさ』よりも『まわりに合わせる』や『無難』を意識して発言する必要がある」

うんうん、身に沁みる言葉です(^_^;)
私は割とKYでして、ブログに書きたいことを書いちゃってる方ですが、やはり他人から拒否されたり嘲笑されたりするのはキツイです。←しつこく言うけど、ワタクシはビビりなの(笑)

そういえば、日本の文化を「恥の文化」だと指摘したのは、アメリカの文化人類学者ベネディクトですよね〜
日本人には恥を避けたい、つまり他人から拒否されたり嘲笑されたくないという思いが強くて、他者から見て恥ずかしくないように振る舞おうとする傾向があるようです。
よく子どもの頃、親や学校の先生から「世間の笑いものにならないようにしなさい」とか、「恥ずかしくない人間になりなさい」とか言われませんでした?
日本社会というものは、他者の視線に敏感な体質を持ってますよね(^_^;)

日本で生まれ育った私にも、もちろん、こういう心が形作られてます。
日本文化のアイデンティティが知らず知らずのうちに深く刻まれてます。

だけどさ、だけどなのよ!
アイドルのアンチファンに嘲笑されようと、覚醒しなさいと言われようと、「好きなものは好き」という気持ちにフタはできないのであります!
たとえ「あのアイドルはもう落ち目じゃない?世間から評価されないアイドルをいつまで応援するつもり?」とそれなりの数のアンチファンに言われようとも、なぜか同調できないのであります。
注)アンチファンとは、アイドルの見え方が常にマイナスで、自分に都合の悪い情報は完全に無視し、「自分は正しい」と信じていて、決して戦いをやめないファンのことです(^_^;)
一体、誰と何と戦っているんでしょうか?
アイドルを所有できない恨みつらみや敗北感、傷ついた思いを仕返しとばかりに、当のアイドルやスタッフに向けているのでしょうか?
アイドルに対して、自分が受けたとのおなじ苦しみや敗北感を味合わせたいのでしょうか?

普段は世間を気にするビビりな私ですが、アイドルのことに関しては、なぜか世間体とか吹っ飛んでいってしまうのです(笑)

「世間」が何ですか?
同調圧力? おうよ、上等じゃないですか!

アイドルのライブパフォーマンスが楽しいから、私にとっては最高のお祭りだから、アンチファンからの同調圧力なんか吹き飛んでいきます。

ねえ、そもそも「愛」って、他人から見ればみっともなくて、愚かで、独占欲と嫉妬にまみれていて、自己中で、でも生きていくうえで見落とせない何かを含んでいて、カオスで割り切れないもんなのよ(笑)

東方神起の分裂騒動をリアルタイムで経験し、そこを乗り切って、今でもオルペンな私はかなり図太い性格なのでしょうか?
それとも、単なるお花畑?
超新星のファンをやっていても、お花畑と言われる始末(^_^;)

でも、楽しいからやめられないの〜

韓流アイドルに道徳を説くファン⁈<アイドルに関する言説パターンはどうして生まれるのか?>

ツイやブログなどをやっていると、楽しいコミュニケーションだけではなく、不愉快なコミュニケーションにも残念ながら出くわしますよね(^_^;)

私が好きな某韓流アイドルの情報をネット上で集めていたところ、あるひとつの語りが共通認識として存在していることに気づきました。

「彼らにはプロ意識が足りない」
「彼らは努力すべきだ」

多くのファンがこのように語る現象に対して、正直、私はびっくりしたもんです
なぜか、ですって?
だって、私は日常生活において「だらしない自分」を自覚していて、しかもネガティブ感情を隠すことなく夫にぶちまける「困ったちゃん」でもありまして、かつ家事は手抜き、いえいえ効率重視な「テキトー主婦(笑)」と成り果てておりますゆえ、つまり私は自分のことを「さほど規範的・道徳的ではない」と知っちゃっている手前、アイドルに道徳を求めるなんておこがましくてできないのであります。
てか、なんで好きなアイドルに説教したり、道徳を説いたり、脅迫的に忠告したり、攻撃するのかわかりませんでした。←アイドルの振る舞いが気に障るのであれば、ファンをやめればいいだけの話ですよね?

ネット上には、アイドルのことに限らず企業や他人の行為に対して、「過剰な道徳」を求める傾向があるように思われます。

精神科医の香山リカさんはこのように言ってます。
「他人のちょっとした逸脱行為や社会のルール違反さえ許せない人が増えているのだとしたら、現実世界も礼儀正しくて謹厳実直な人であふれてもよさそうなものだが、決してそうはならない。『道徳的であれ!』というのは他人に対して求めているだけで、自分はあくまで道徳的でない人から被害を受けるか受けないか、という側にしか身を置かない」

はい、「自分のことは棚上げ」してアイドルの振る舞いを説教し、ネット上で匿名を使って発言する私たちファンは自分が理想の道徳的人間であるかどうか判断されることはないので、安全圏にいますよね。
実は、この「匿名性」がポイントだと思うのです。

ネットは匿名性が高く、また相手の顔が見えなくて反応を確認することができないため(例えば相手がムッとしたとか、おびえているとかの手がかりがないため)、自分の感情を抑制することが難しく、ついつい激しい言葉で批判したり、攻撃してしまうのかもしれません。←ああ、私の耳がイタいわ~

ネット上の「匿名性」や「非抑制性」がファンの感情を解放して遠慮なく語らせてしまい、激しい攻撃の言葉(極端な言説)で溢れかえり、ひとつの方向に向かって滝のように流れる現象を生み出しているのでしょう。
この現象を「サイバーカスケード」と言います。

評論家・編集者の荻上チキさんの定義する「サイバーカスケード」を紹介しますね。
サイバースペースにおいて各人が欲望のままに情報を獲得し、議論や対話を行っていった結果、特定の(たいていは極端な)言説パターン、行動パターンに集団として流れていく現象」

なぜか韓流アイドルに対しては、このサイバーカスケードの状態が起きやすい感じがします。
アイドルの振る舞いに対して無数にある意見や感想や見解などが、あっという間にひとつの極端な言説に集約されていき、その言説があたかも唯一の真実であるかのように独り歩きするのです。
韓流アイドルへの特定の言説パターン(「彼らはプロ意識が足りない」「彼らは努力が足りない」etc.)は、途中で立ち止まって検証されることがありません。
そもそも物事の見え方は人によって違いますし、さらにアイドルの仕事現場に立ち入ることができないファンは、何を根拠にして「プロ意識の足りなさ」や「努力の足りなさ」を立証するのでしょうか?

ふと私は考えてしまいました。
もしかしてファンは「攻撃したくて攻撃している、文句を言いたくて文句を言っているではないか?」と。

ネットの「匿名性」や「非抑制性」を利用して、「日常生活では出せない自分、出してはいけない自分」を解放しているのではないかしら?
私たちの日常生活では、人間の攻撃的な側面や憎悪、嫉妬などのネガティブな感情は人前では隠しながら振る舞うように求められています。
それとは反対に、ポジティブな感情や良心は心の奥に押し込める必要がなく、日常生活で解放できます。
ネットの「匿名性」や「非抑制性」を利用して、心の底に溜まった「澱」を吐き出しているのでしょうか?

最初に「攻撃したい! 文句を言いたい! 注文をつけたい!」という欲望があって、アイドルや所属事務所の振る舞いの中にエビデンス(evidence/証拠・痕跡)を探し出し、後づけして、その欲望を正当化しているのだとしたら…?
そう、善意(?)の忠告や注文や攻撃をしたい欲望がまず先にあって、そのため韓流アイドルの見え方にバイアスがかかっているのだとしたら…?
韓流アイドルの発言や振る舞いを目にして「それ見たことか!」とほくそ笑み、自分の「プチ正義感」を満たしているだけだとしたら…?

韓流アイドルは女たちの欲望のscapegoatなのかしらん。


[参考文献]
香山リカソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』朝日新聞出版

東浩紀(哲学者)×荻上チキ 対談『「一般意志2.0」を現在にインストールすることは可能か?』

韓流アイドルのファンの生態らしきもの3

韓流アイドルのファンに共通する特徴を書いています。

③「努力は報われる」という信念(努力至上主義)

ファンの中には、道徳、倫理、または価値観について過度に誠実で、「間違いを犯すことは、悪である」という強い信念を持っている人がいます。
「そうでなければならない」という思い込みが強く、自分の価値観に囚われ、一面的な見方をしている感じです。

こういったファンは、努力すれば必ず成果や見返りが得られるという確信を持っていて、頑張ることに最も価値を置いています。
そして、困ったことに自分だけでなく、周囲の人にも同じことを求めてしまうのです。

そう、アイドルに「努力至上主義」を求めて、「努力してれば良い人」「努力してなければ悪い人」というように二分法的に評価を下しがちです。

「努力は必ず報われる」

本当にそうでしょうか?
人間、努力してもうまくいかないときがありますよね?

努力、努力の大合唱に違和感を覚えてしまう私です。
他人のしている努力って、気づくときもあれば気づかないときもありますし、また本人の努力が成果として必ずしもあらわれるとは限りません。
さらに、本人にとっては努力している意識があるのに、第3者から「そんなものは努力のうちに入らない/まだまだ努力が足りない」と言われてしまったら、どう反論すればいいのでしょうか?

そこそこ人生経験を積めば、努力が必ずしも報われないことを知っているはずですし、その現実の無情さを実感しているからこそ、企画サイドが提供する「アイドルが努力してスターダムを駆け上がる物語」に共感し、同一化して、ファンは自分の成功欲求を代理的に満足させているのでしょう。←アイドルの成功物語をファンが一緒に作り上げていくところにアイドル娯楽の面白さがあると思ってます。
しかし、「努力すれば必ず報われる」という物語を過剰にアイドルに押し付けるファンは、自分の人生への欲求不満のうさ晴らしとして、あるいは自分の人生をアイドルを通してやり直し、バーチャルに成功体験するために、アイドルを利用しているだけなのでは?

私は、「アイドルが努力しているかどうか」を基準にしてアイドルを評価することに危うさを感じています。←もちろん頑張っているアイドルを見ると応援したい気持ちは湧いてきますが、「努力しなさい!」と説教する気持ちにはなりません。
そしてアイドルに対し、なぜファンがそこまでして自分の価値観を押し付けるのか不思議でもあります。←「努力しなさい。努力は必ず報われます!」と声高に叫ふ教育ママゴンっぽい(^_^;)


私は、アイドルのライブパフォーマンスやCDなどのコンテンツから元気をもらったり、癒されたり、萌えたりして(笑)、十分に楽しいからファンを続けるのであって、アイドルをエンタメとして享受しています。
現実の対人関係とは切り離しており、虚構の世界(エンタメ)で遊んでいる感じです。


ここまで韓流アイドルのファンの特徴を書いてきましたが、もちろん当てはまる人もいれば、当てはまらない人もいると思います。

私は自分自身も分析対象にしちゃうようなヲタです(笑)


[参考文献]
小此木啓吾、深津千賀子、大野裕 編 『改訂 精神医学ハンドブック』創元社、2010年
岡田尊司 『パーソナリティ障害』 PHP新書、2004年